森林資源の保護を目指した「夢の紙」
イノベーションの誕生
1967
三菱油化(現:三菱ケミカル株式会社)の素材研究室内に合成紙グループが設置。
1968.3
同社が合成紙の基本特許を出願。「ミクロボイド」(微細な空孔)を持ち、他の合成紙とは異なる構造の合成紙が誕生。
1969.5
王子製紙(現:王子ホールディングス株式会社)と三菱油化の共同出資により、株式会社王子油化合成紙研究所(現:株式会社ユポ・コーポレーション)が創立。「天然紙に代わる夢の紙」を事業化すべく、製紙と石油化学のリーディングカンパニーが提携しました。
EPISODE
当時、三菱油化の合成紙グループは自前の開発設備を持っておらず、別の職場の設備を借りて業務時間外に実験していました。実験が終わるのはいつも真夜中のため、いつしか合成紙の開発メンバーは「ふくろう部隊」と呼ばれていました。平均年齢21歳、「ふくろう部隊」による粘り強いチャレンジが、ミクロボイドの発見につながり、独自の構造を持つユポの誕生へとつながっていきます。
国が「合成紙産業育成に関する勧告」を発表
1968.5
科学技術庁(現:文部科学省)資源調査会が「合成紙産業育成に関する勧告」を発表。そこでは木材資源の不足と石油化学産業の勃興を背景に、石油を主原料とした「合成紙」の重要性が提言されていました。その提言には1978年には紙需要の約20%が合成紙に代替されるという大きな展望が示され、その当時、推定20数社が合成紙の企業化を計画していました。
初期の見本帳
ブランド名「ユポ」の発表・海外進出
1971年6月に鹿島工場が完成し、10月に商品名「ユポ」を発表。翌年より販売が開始され、徐々に採用が始まります。1973年には北米市場、1977年には欧州市場へ進出。創立から10年も経たないうちにユポは世界で販売されていきます。
EPISODE
ユポ発表後、その製品価値を最初に高く評価したのは、実は海外。日本ではほとんど売れていなかった当時、海外市場に可能性を見出した工場のメンバーは空いている時間を見つけては、英会話の練習に取り組んでいました。
第1次石油危機(オイルショック)
1973年10月の第4次中東戦争の勃発が引き金となった第1次石油危機(オイルショック)。合成紙の主原料となる合成樹脂の価格が高騰し、「天然紙の代替用途」をターゲットとしていたほとんどの合成紙メーカーが、撤退を余儀なくされました。
EPISODE
当時は当社も大赤字に。しかし当社は、ユポ独自の優れた機能に大きな可能性があると判断し、事業継続を決定。天然紙には難しい高機能用途に焦点をあて、天然紙の代替ではない合成紙独自の市場をターゲットとする「紙と合成樹脂フィルムの特徴をそなえた新素材」として、量から質への方向転換を決定しました。そして、原料選定から見直す全面改良を、開発・製造が一体となって数年がかりで完遂し、安定した品質を持つ高機能用途素材としての成長を加速させる基礎を固めました。